『二人の女勝負師』シナリオと小説を公開いたします。
2002年冬。とある俳優養成所の卒業制作のためにヒッチコックの『裏窓』をモチーフにした40分程度のもの、という依頼を受けて『miss-lonely@』という短編を書いた。
一か月ほどかけて張り切ったのだが、ボツになって一週間で別の話を書き直せということになった。
途方に暮れていたのだが「隣の建物の中が見える」というところから『二人の女勝負師』が天から降りてきた。頭の中で登場人物たちが勝手に動きだし、押さえられなくなり依頼はそっちのけで『二人の女勝負師』を不眠不休で一気に書き上げた。
物書きには一生に何度か(一度かも)そんなことがあるという。『ロッキー』を書いた時のスタローンもこんな感じだったのだろう。
普通僕は作品には時間をじっくりかけるほうで『日本国憲法の成立』は2年、『会社をやめて、ハワイでサーフィン三昧』は7年(この作品は間に相当なブランクがあり、実質2~3年か)『シブ柿はどんな味がするのか?』などは毎日取り組んで6年かかったほどだ。しかしこの作品は着想から脱稿まで4日間だった。
中学時代将棋部だった僕にとってこれぞまさに書きたかったものだ!と脱稿してから一週間ほど全身の毛孔が開きっぱなしになったかのごとくずっと泣き続けた。
養成所に出すのはもったいなくて提出しなかった。この作品はいつか自分の手で映画化するのだと、コンクールにも出さず、どこにも売り込まず、身の回りの人にもあまりみせなかった。
狂気の世界に足を踏み入れてしまったことを感じた。数年間出てこられなかった。日常のこまごましたことなど、何もかもがどうでもよくなった。
お金はない。誰も尊敬してくれない。でもそれ以外の欲しいものはすべて持っていた。そんな日々はめちゃくちゃ楽しかった。やばいけど。
それから10年パソコンの隅っこで寝かせたのち『二人の女勝負師』を撮るチャンスを与えられたのである。
・・・・・・卒業制作はどうなったかって?
僕はすぐに降ろされて、その後は知らない。・・・・・・ははは。
別の人をすぐにみつけてきっとなんとかなったのだろう。「お前の代わりならいくらでもいる」とはこういうことだ。
小説版も実はあるのです。初期のものは叡美ではなく映美でした。