『おやこばからくご』について
古今亭志ん生は戦後から昭和四十年代にかけて一、二を争う名人でした。次男の志ん朝は昭和末期から平成初期にかけてだんとつのナンバーワンだったと言っても過言ではないでしょう。そして長男の十代目金原亭馬生もまた地味だけれども独特の味を持つ落語家でした。
馬生はレパートリーが多く、どんな噺でも器用にこなし、志ん生や志ん朝の個性を全面に出す芸に対して、演者が消えてしまう芸だといわれていました。「馬生」を感じさせず、熊さん八さんそして与太郎が目の前で動き出し、お客を江戸時代にタイムスリップをさせてくれるのです。立川談志も絶賛し、春風亭小朝、立川志らくなども馬生から大きな影響を受けたと発言しています。いい噺家だったんです。
父の志ん生は次男の志ん朝の才能を高く買ってはいましたが、馬生のことは認めておらず、どこか邪魔に思っていたところがありました。「志ん生」の名跡は長男の馬生が継ぐのが普通ですが、志ん生は次男の志ん朝に継がせたがっていました。それを察した長男の清は自分から名跡を弟に譲ると申し出ます。そのとき父親の志ん生は喜びのあまり号泣しました。馬生にしてみれば屈辱的だったことでしょう。馬生は長男ということもあり、母親に苦労をかけっぱなしだった父親のことを遠慮なく批判したりもしました。落語協会の会長までつとめた志ん生にとって、自分に唯一刃向ってくる馬生がうっとうしかったのかもしれません。
それでもふたりは憎み合っていたわけではありませんでした。むしろ馬生は一軒置いただけのすぐ近所に住み、しょっちゅう一緒に銭湯にいくという、仲がいいのか悪いのか不思議な関係でした。
このシナリオは金原亭馬生こと美濃部清の視点で古今亭志ん生、志ん朝はどんな落語家だったのか、また愛とか絆とかそんな言葉を使えるほど立派ではないけれど、それでも絶対にほどけない何かでつながっていた父親と息子の関係を描いたものです。
エピソードはすべて事実を基にしていますが、志ん生の一生を年代順に並べるようなことはしませんでした。『お直し』で芸術祭を受賞したこと、巨人軍の祝賀会で脳溢血で倒れたことなど重要な出来事をあえて入れませんでした。映画にするには面白いとは思えなかったからです。
このシナリオは落語をまったく知らないひとに向けて書きました。落語をきいてみたい、志ん生、馬生、志ん朝といった名人にふれてみたいと思ってもらえることでしょう。落語に興味を持ちながら、あまり落語のことを知らない人が素晴らしい落語の世界にはいる第一歩なってくれることを願っています。
タイトルは親子、馬鹿、落語を並べました。落語に人生をささげた「落語ばか」、風変わりな「馬鹿な親子」という思いをこめています。ひらがなのリズムが耳に心地好くなっていると思います。
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