『ハムレット』4
ハムレットは太っていた? さまざまなハムレット
「ハムレット」は1948年に製作されたローレンス・オリビエ監督・主演の映画がひとつの大きなスタンダードだといわれています。美しい顔立ち、繊細で華奢、「優柔不断な王子様」そして全体に甘美な雰囲気。「これは決断できない男の悲劇である」というナレーション。
しかしどうもそれは原作とは大きく違っているかもしれないのですね。「ファウスト」などを書いた文豪ゲーテが「ヴィルヘルム・マイスターの修業時代」の中で描いていることなのですがハムレットを演じようとする青年が
「この役に入ろうとすればするほど僕の体はシェイクスピアの描いたハムレットとはかけはなれてしまうんだ」
と言っています。
これはどういうことなのか。
5幕2場でハムレットとレアティーズが剣の試合をするシーンのガートルードのセリフです。
He’s fat and scant of breath.
scant of breath.は「息を切らしている」という意味です。Fatだから息を切らしている。
ではfatってなんでしょう。みなさんの大嫌いな単語「太」です。
ハムレットは太っていた。ひげを生やしていた。
E・V・ブレイクという研究者は「皮下脂肪に囲まれているから黙想壁があるのだ」
カール・エルゼ「ハムレットの優柔不断と緩慢さ、メランコリーな心痛は体格と結びついている」
シドニー・リー「ハムレットは学者生活をしていたので太るのも無理はない」
・・・・・・マジかよという感じですが。
実際にハムレットを太った役者が演じたという芝居もあります。例えば15年ほど前、サイモン・ラッセル・ビールが演じた舞台ですが、そのときの劇評はこんな見出しだったそうです。
Tubby,or not tubby, that is the question.
デブかデブでないかそれが問題だ。(Tubbyはデブという意味です。)
しかしその舞台はたいへん高い評価を得て、イブニング・スタンダード紙で最優秀新人賞を受賞しました。日本でもCSで放映されたそうです。ビール氏はイギリスでは相当に名優らしいです。
太っているハムレットなんてハムレットなどではない!そんなの嫌だ!
この説には大ブーイングが起きました。大体太った役者が演じたら台無しになる。ローレンス・オリビエが演じたら深遠なセリフも、私のような小太りの男が演じたら笑いが起きてしまうことでしょう。
たとえば
「ああ、あまりに硬い肉体が崩れて溶けて露と消えてはくれぬものか!」
私もちょっとは脂肪を溶かせ、という感じですが。
Fatは本当に「太」なのか。別の意味はないのか。
この単語をめぐっては研究者たちによってさまざまな議論が重ねられています。
〇別の言葉と間違えた。誤植である。
faint(気が弱い) hot(暑がって) fatigue(疲れて)
〇FATに別の意味がある。
「満腹して」「汗かき」(邦訳ではたいていこの訳が採用されている)「運動不足」
辞書には載ってなくて、そのような意味での用例があったとかなかったとか議論されています。どうも太っていたという意味以外で使われていたことはなかったようですね。「あった」と主張している人もいるのですが。
〇「太」ではなく「ワイルド」
FATは太っているという事だ。しかしそれは肥満ではなくて肉付きがよくてたくましい。よい体をしている。実際初期のハムレットは繊細というよりはワイルドで男らしいイメージを持つ役者が演じることが多かったようです。ファット・アンド・フェア(FATで美しい)という言い回しも当時のイングランドにはあったそうです。それがイギリスロマン主義の時代にハムレットの知性的な面がクローズアップされて、スリムなハンサムに定着していきました。
私は最後のワイルドだったという説が有力じゃないかなと思います。シェイクスピアの所属していた宮内大臣一座の看板役者リチャード・バーベッジが最初にハムレットを演じたといわれていますが、かれは肥満というわけではありませんでした。
「ハムレットは太っていた」という設定でシェイクスピアは書いたという説はちょっと弱いかなとは思いますが、それでもとても魅力的な説だと思います。
またデブではないのですが、ハムレットは若ハゲだったという舞台が日本にありました。近藤芳正さん主演、 (小田島訳をもとに)翻案・鈴木聡さん 演出・山田和也さんの「ハゲレット」という舞台です。ふざけたタイトルですが、実は私もみたのですが中身はまじめなハムレットでした。
ハムレットはコンプレックスの塊だった、という解釈も面白いかもしれません。
世界中にはいろいろなハムレットがあります。
ハムレットはなよなよしていて女っぽい・・・・・・そうだ女だったんだよ。
ハムレットは女性だったという解釈のハムレット、女性が男装したハムレットもたくさんあります。1700年代後半に活躍したサラ・シドンズという人が初めて女性でハムレットを演じました。サラ・ベルナールという女優は1899年に56歳でハムレットを演じています。日本でも麻美れい(読売演劇賞女優賞)、安寿ミラといった宝塚出身の女優がハムレットを演じています。
かわったハムレットではスーツ姿のハムレット、Tシャツに革ジャンのハムレット、パジャマ姿のハムレット、田舎なまりのハムレット、イングマル・ベルイマン(スウェーデンを代表する世界的な映画監督。「野いちご」「第七の封印」「処女の泉」イングリッド・バーグマン最後の作品「秋のソナタ」)という有名な映画監督は1988年にサングラス姿でナイフをもてあそぶというハムレットを演出しました。
さきほど申し上げた蜷川の舞台でも無国籍な雰囲気で日本ではないどこかが舞台だけど時代は昔なんだろうな、と思いながら見ていたらフォーティーンブラスがバイクに乗って登場しましたね。それはやりすぎだろ、と思いましたが。
近い将来、ここにいるみなさんも『ハムレット』舞台に立ちオフィーリアなりガートルードなり、男性だったらハムレットとか国王とか道化とか、演じる日がきっと来ることでしょう。そのときは必ず観に行きますので、新しいハムレットをみせて頂きたい。その日を今から楽しみにしております。
では最終幕に進んでいきましょう。