第6回シェイクスピア勉強会「マクベス」
「マクベス」における魔女について
今回のシェイクスピア研究会は「マクベス」ですが魔女をどう描くかによってこの作品が決まるという評論家もいるぐらいとても重要な要素と言われています。
今日はヨーロッパにおける魔女にお話をしたいと思います。今日はすごく簡単にいきます。
我々は魔女はフィクションだけの存在と考えています。しかしこの作品が書かれた当時の観客はそうではありませんでした。「マクベス」は1606年ごろに書かれたと言われているのですが、イングランドでは1590年ごろが魔女狩りのピークでした。つまり当時の観客にとって魔女を実在するものだったのですね。
魔女狩りという行ないはギリシア時代からありましたが中世から近世にかけてヨーロッパを中心に盛んでした。15世紀から18世紀にかけて4万人から6万人が魔女の烙印を押され、残虐な拷問の末処刑されました。その多くが郊外に住み、教養がなく、友人が少ない人が多かった。主に密告により魔女とみなされたのですが、なかには6歳の子どものいうことが信じられてとらえられた人もいたそうです。もともとウィッチ=魔女という言葉には「女性」という意味はなく男性も多く捕らえられました。人々は自分の名前を出されることをおびえながら生きていたそうです。ヒステリックな魔女狩りの背景には、度重なる戦争、飢餓、ペストの流行があったとされています。
超自然的な力によって人々に害を及ぼしてはならないとする魔女対策法という法律がありまして、これは1736年に廃止され妖術行為禁止令へと受け継がれますが、この法律は1951年まで存続し1944年に最後の逮捕者が出ました。
アイルランドでは妖術行為禁止令は1983年まで存続しました。つい最近まであったことに驚きですが、イギリスの法制度を導入したイスラエルでは今でも存在しています。
ヨーロッパ以外の地域ではインド、アフリカ、パプアニューギニアなどで20世紀になっても魔女狩りが行われたことが確認されています。
そんなことを頭に置きながら今日も皆さんと楽しく学んでいきたいと思います。