エッセイ

「さあみんな、将棋指そうか」

                                      池田眞也



 もしも目の前に死のうとしている人がいるとします。

「死ぬのはよくないよ」といくら大声をあげたとしてもむなしく響くばかりで、その人の心には何も届かないことでしょう。私はその人の悲しみや苦しみの核になるところを決してわかってあげることはできないのですから。

 しかし一緒に将棋を指してあげることはできます。

 将棋は論理的思考を必要とします。考えに考えた末には必ず「わからない」にたどりつきます。答えを見つけることはできませんが、それでもどちらに進むのか、手番が回ってきたら感情とか勘に頼って決断しなければならないのです。

 相手との実力差がなく、難解な局面に遭遇し、右脳も左脳もフル回転させているときは将棋以外のことが頭から消えてなくなってしまうことがあります。頭からこびりついて離れない日常生活のすべての嫌なことから将棋を指している間だけ解放されるのです。

 私もまた、人生で一番苦しかった時を将棋を指すことで乗り越えることができたのです。


 将棋は持ち駒を使います。取られた駒は死ぬのではなく、相手の戦力にかわるのです。40人ではじまり、40人で終わる。誰一人として命を落とすことはありません。将棋は戦争のゲームではないのだと私は思っています。ひとつひとつの駒は兵士などではなく、ある者は一つの組織に生涯忠誠を誓い、またあるものはいい条件を求めて転職を繰り返す、サラリーマンのようなものではないでしょうか。

対局相手も決して敵ではなく、将棋盤の中に広がる無限の宇宙のどこか、二人だけしか知らない世界を共に旅するパートナーなのです。

「私はこれを望んでいます。あなたは何を望んでいるのですか」

 心の中で私たちは対話をし、より理解したほう、すなわちより愛したほうが勝つことができるのです。

 頻繁にあることではないのですが、自分も相手も全くミスをせず、持っている力をすべて出し切り、魂の棋譜を残せた後は、たとえ勝っても負けても、心の深いところで相手とわかりあえたような気分になります。

 将棋はやさしいです。その中に救いがあります。

  一人でも多くの人に将棋の素晴らしさを知ってほしい、将棋に対して感謝の気持ちを行動で示したい、そんな思いでこの映画をつくりました。

 

「さあみんな。将棋指そうか」(楢井叡美のセリフ)