2005年
日本国憲法がどのように作られたのかを事実に基づきフィクションの要素はできるだけいれないでほしい。改憲派でも護憲派でもなく、観た人、読んだ人が自分たちで考えて判断してもらえるようなものにしてほしい、という日ごろからお世話になっているプロデューサーのSさんからの注文だった。
歴史をまじめに勉強してこなかった僕に、そんな話をもらって正直焦った。こんな大きなテーマを自分のようなものが扱っていいものかという葛藤があった。でも引き受けた以上乗り越えなければいけない。
シナリオ版と小説版セットで、脱稿まで二年間かけた。まず最初の一年間はひたすら取材を行った。関係書籍は100冊以上読み、英語の公文書なども膨大な数のものをプロダクションに翻訳してもらった。歴史関係とか誰かの講演会とかいろいろな場所に行った。「父と暮せば」→岩波ホールの伝手で、日本国憲法制作に関わった元米軍のベアテ・シロタさんに質問に答えてもらったこともあった。
「改憲派でもない、護憲派でもない」と言っても中間があるわけでもなく、またそんなものを描いてもつまらない。ものすごく右寄りの思想、ものすごく左寄りの思想、どの方向から来る意見にも一理あった。すべてきちんと自分の血液にして登場人物のセリフにぶち込んだ。
いろいろな考え方の人がいる。立場が違い、時には暴力で相手を倒そうとすることもあるけれど、それでも誰もが同じことを、たった一つのことを訴えていることに気がついた。
日本を心から愛しているということを。
この国を・・・・・・空襲や原爆で同朋が虐殺されみじめな敗北をしてどん底にあったこの日本をよい国にするのだと、日本人はふたたび這い上がるのだと、真剣に考えているということを。
日本とは何か。ものを描くとは何か。僕自身ずっと真剣に考え続けた2年間だった。ものかきとしてだけでなく人生の一番根っこのところに太い杭をうつことのできた素晴らしい体験だった。この機会を与えてくださったSさんには心から感謝している。
当然分量は多くなり、シナリオは削らなかったら4時間近い長さになる。プロデューサーのSさんは「朝日新聞と読売新聞両方から資金を出してもらうぞ」と僕のシナリオを持って行ったまま10年以上たつが動き出す気配はない。
先日会ったとき「憲法どうなったんですか?」と聞いたら「あの企画まだ生きてるぞ」という返事だった。
なのでまだ公開はできません。
このまましなくてもいいかなとさえ思っている。